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ウェビナー

開催レポート

第8回富裕層観光戦略ウェビナー

第8回富裕層観光戦略ウェビナー
開催日2024年1月30日 (火) こちらのイベントは終了しました
開催時刻15:00~16:00
参加条件 無料・事前申込制
主催 一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構

欧州在住のトラベルデザイナーであり、京都・両替町にあるŌHARA-JUKU亭主でもある大原 邦久氏をゲストにお招きし、「いま、世界の超富裕層が旅に求めていること」と題してご講演いただきます。

欧州と日本を行き来し、長年、超富裕層への接遇を実践してこられた大原氏が作り出した1日1組限定のオーベルジュ「大原宿」。宿を単なる宿泊の場ではなく、体験の場として捉え、「物質消費主義的な満足を越える、精神的充足や自 己・他者との対話を可能とする空間」を目指しています。また、特別な体験の提供はもとより、滞在中の秘書サービスやバトラーサービスまで、ゲストの広範な要望に合わせたオーダーメイド対応を実践しておられます。

今回のウェビナーでは、アカデミックな観点からラグジュアリートラベルを紐解きつつ、21世紀の富裕層旅行のトレンド分析、そして世界の超富裕層トラベラーに対して「我々はいま何ができるのか」をお話しいただきます。どうぞご期待ください。

 

対象の方

  • 観光戦略を担う自治体・DMO関係者の皆さま
  • 「高付加価値」な観光サービスの提供事業者さま
  • 富裕層の観光需要を獲得したいとお考えの事業者さま
  • そのほか、ご関心のある方(意欲のある学生の方の参加も歓迎します)

 

プログラム

講  演

訪日富裕層旅行エキスパートが語る
「いま、世界の超富裕層が旅に求めていること」

ŌHARA-JUKU 亭主 大原 邦久様

質疑応答

 

登壇者プロフィール

ŌHARA-JUKU 亭主 大原 邦久様

1975 年東京生まれ。2000 年に奨学生として渡仏。ストラスブール大学、マルヌ・ラ・ヴァレ大学、エコール・ノルマル・シューペリウールにて人文・社会科学を修める。その後、日仏トレーディング業務、ホスピタリティ分野、インバウンド事業に携わる。2013年 の帰国後 、欧州と日本を往来しつつ 、 国内 DMC の外国人顧客管理、海外営業を担当。 2018 年 に 法人 化し 、訪日富裕層旅行のエキスパートとして、三越伊勢丹をはじめと する 日本国内の企業を支援。 NATO や欧州議会といった公式行事、高級ブランドのイベント、著名人や企業家の接遇 にも従事。学術分野での知見を活用した特別体験の 造成に関しては、海外の超富裕層専門エージェンシーから 評価 を得ている。

 

 

主催者 / 一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構について

一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構は、ラグジュアリーツーリズムの振興を目的とした団体です。国内のラグジュアリーホテル・旅館・レストランのBEST10を顕彰する「Luxury Japan Award」や富裕層マーケット専門のプラットフォーム「Luxury Japan Virtual Travel Market(略称:LJTM)」を主催しています。

開催レポート

1.問題提起「いま、世界の超富裕層が旅に求めていること」

 

本日は、「いま、世界の超富裕層が旅に求めていること」というテーマでお話をさせて頂きます。平たく言えば、「消費者のニーズは何か?」、また、「そのニーズにどう対応すれば良いのか?」という風になりますが、これは問題設定としてはかなり大きなくくりになってきます。

 

その答えを探る上でのヒントとして、観光業・特に富裕層セグメントが取り上げられる際、かならず耳にするのが、「高付加価値」というキーワードです。

 

ただし、観光業をとりまく言説の多くは、事業者の側からのものですから、「高付加価値というお題目」も企業や地元の利益をどうやったら増やせるか、という近視眼的な観点、技術論に終始することが多いのも事実です。

 

そこで、今日は、まず、マクロ的な観点から、20世紀以後の消費行動の変化、消費者の心理に触れつつ、具体的にラグジュアリー産業を支えるグローバルブランドの戦略の図式をたどってみようと思います。そこを手掛かりに、観光業という文脈でどのように「高付加価値」に取り組んでいけば良いのか、実践例に即して皆さんと一緒に、考察を進めていきたいと思います。

 

2.「モノの贅沢≠コトの贅沢」

 

「旅行の高付加価値化」を議論する前に、最初に押さえておかなければならないポイントのが、①「Luxury」②「Travel」という二つの因子です。はたして、Luxury=贅沢をしたいと思うとき、遠い異国の地を訪れたいと思うとき、そこにはどのような心理的なメカニズムが働くのでしょうか?

 

その答えとして、大きく思い当たるものが二つ、それが「欲望」、そして「夢」です。人を動かすもの、さらには社会を動かすもの、として「欲望」、そして「夢」はあらゆる社会活動・経済活動の領域で介在してきます。事実、消費と生産を成り立たせるのも人々の欲望ですし、人類の進化、そして科学技術の発展には、海・空・宇宙を旅したいと願う、「夢を追い求める人間の姿」が重なって来ます。さらには、「夢」が政治と結びついたとき、それは帝国の野心・イデオロギーとして、多くの人々の生死にかかわる影響をも与えることになるでしょう。

 

情報メディアが発達した今日において、より良い生活への憧れや欲望をかきたて、清算と消費を促すことが、広告の使命だとすれば、その対極にあるのが芸術です。絵画、文学、映画など、芸術が描きだす世界へ導かれることで、束の間ではありますが、人々は日常の生活空間を離れ、憂いを忘れる事が出来ます。芸術鑑賞の場面においては、鑑賞者はみな平等で、誰もがお姫様にも王様になることができます。また、別の時代、別の国、夢の空間へと導いてくれる、というのも芸術の力、フィクションの力です。そして、「私たちを知らない世界」、夢の世界へと導いてくれるもう一つ別の魔法のツール、それが旅行です。この推測が正しければ、芸術技法の中に「旅の高付加価値化」の大事なヒントが隠されている、と考えられなくもないでしょう。

 

贅沢を考える上で、欲望と消費は切っても切れない関係にあります。この二つにはちょうど、原因と結果のようなつながりがあります。確かに、お金は欲望を具現化させる手段です。しかし、欲しいという動機、明確な目的や理由が無ければ、日用品であろうが贅沢品であろうが、購入という行動に結びついてはいかないでしょう。オシャレをするつもりもなく、わざわざ高額の対価を払って有名ブランドのブティックに行く、という人もほとんどいないでしょう。ライフスタイル雑誌やショーウインドーをみる、「自分もこれが欲しい」と思い、ショッピングをする。商品がまず存在し、次に消費者が広告を通じその商品の存在をしり、商品への価値評価を行う。要するにモノがなんであるかを知っている状態で、というのが一般的な購入のプロセスです。

 

反対に、芸術鑑賞の場合はどうでしょうか。鑑賞する前にどのようなストーリー展開になるのか、脚本を探し、映画の結末を事前に調べてから映画館に行く人など皆無でしょう。小説の場合であれば、その作品読んでみないことには、面白い小説であるか、自分の好みであるか、といった判断もつきません。知らない世界に飛び込んでみる、その勇気がいるという意味です。


旅行、余暇の場合について考えてみましょう。おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃん、おまごさん、一家全員が集って家族会議をして、綿密な計画をたてて夏休みをすごす、旅行に出かけるファミリーも多いでしょう。一方で、特にこれといった目的などなく、週末ぶらぶら街中を散歩をする、細かな計画など事前に立てず、航空券とホテルだけ予約し、とりあえず海外に行く、という楽しみ方も好むカップル、独身者もいるでしょう。漫然と、行ってみたい国というイメージを持ちながらも、明確な目標はあえて定めず、時間やお金を自由に使うという流儀にこそ贅沢を感じる人達も少なからず存在するはずです。

 

旅に出る動機であるとか、旅の楽しみ方そのものは、知っているものを購入したいと願う「欲望のモデル」よりも、むしろ自分の知らない世界、つまり未知の領域に足を踏み入れようとする「夢のモデル」との親和性が高いと思います。芸術鑑賞のプロセスに似ている部分があります。要するに、モノの贅沢とコトの贅沢の間には、購入者の前提知識という意味での、「既知」と「未知」という違いがあることに気をつけて、私たちは商品造成や販売戦略を構築していかなければなりません。

 

3.「既知=欲望」VS「未知=夢」

 

モノの贅沢とコトの贅沢をもう少し図式化してみましょう。エルメスのケリーバッグやブレゲの時計と、航空券やホテルを除いた部分で一人あたり百万円を越えてくるSIGNATURE PROGRAMを対比してみます。

 

1) モノにお金を払う場合、雑誌やカタログで事前に調べ、店員に色々と質問をして、デザインや機能の優れている部分を比較したりと、消費者は理性的で合理的な存在として振る舞う存在です。つまり、<ブランド・メゾンであったり、その商品であったり、「既知」への対価を支払う>、という購買の構図です。

反対に、
2) コトにお金を払う場合、好奇心、感情の高まり、期待といったいわば感覚的基準に則った購買行動をとる、消費者は主観的で情緒的に振る舞う存在です。旅先で実際に何が起こるのか、ここはむしろブラックボックス化されており、サプライズとして残しておくためにも、事前に顧客に詳細が知らされることはありません。つまり、<発見や驚き、異文化、未開の地など、いわば「未知」への期待値に対価を支払う>、という購買の構図です。

 

ここで気をつけるべきポイントが二つあります。まず一つ目。高付加価値化を考える上で、経営者目線で、つまり経済的な角度から売値をあげていくか部分にばかり注意がいくと、後者の図式、「気まぐれ」で「情動的」な消費者の心理メカニズムを見過ごしてしまう、という点があげられます。

 

次に、事業者の側も消費者の側も、人間を合理的で賢い存在と捉えてしまうと、かえって売れない商品が出来あがってしまうという逆説、パラドックスが二点目としてあげられます。

高付加価値の旅行商品を購入する富裕層の心理メカニズムには、「理性の相」と、「感性の相」という、二極の間での揺れ動きがあります。その機微を丁寧に読み取っていくのも、我々プロフェッショナルの仕事です。

 

4.「モノ」と「コト」の組み合わせ

 

経済学、社会心理学、認知科学の研究も進み、またマーケティング理論・広告戦略の分野でも様々な分析がなされるなか、消費者は非合理的で移り気な存在、という意見が昨今、多く聞かれるようになりました。テクノロジーの分野においては、例えば経済合理性を追求するIBMとは対極に、消費者の感性・ライフスタイルを第一に考えたのがAPPLEでした。同様の傾向は「嗜好品をより多く売りたい、ライフスタイルの次世代トレンドを発信したいと考えるライフスタイル、さらに顕著なものとなります。高付加価値、英語ではAdded Luxury Value (ALV)といいます。このALVを決定づける要素、つまり商品の価値、価格を決める上で、ポイントとなるのが以下の四点です。

 

► MATERIALS & CRAFTMANSHIP
卓越した技術・素材、匠の表現 (モノ性) 

► STORY
生きた体験としてつづられるブランドや各商品のストーリー (文脈化、神話化)

 

►  LEGACY
一つの国、文化、歴史を象徴するライフスタイルの結実としてのメゾン (有形遺産)

 

► PROMISE OF BELONGING
選ばれし者だけで構成されるコミュニティの一員である、という証 (ステイタス)

 

これらの総和が商品の価値を決定づけるとして、上位顧客の感情や情緒への訴求を促すためには、企業は様々なプライベートイベントを用意、定期的にコレクション発表を行い、クリエイティビティという力を誇示する、という努力をしなければならなくなります。結果、膨大な広告PR予算が計上されることになります。

 

そのコストを上回る収益が高付加価値化によって成り立つという考え方こそ、モノをより高く、多く売るためのLuxuryブランドの戦略です。この考え方はChanel、Hermes、LVといったアパレルブランドに限らず、自動車、宝飾、不動産でも広まり、「コトxモノ」を組み合わせるというマーケティング手法がもはや当たり前となりました。ファッションコングロマリットのLVMHの場合に至っては、オリエントエキスプレス、シュヴァル・ブラン、ブルガリホテルも傘下にすえ、ついにライフスタイル全域を包囲するところまで攻めてきています、これが世界の勢力図です。

 

ここで一つで疑問が生まれます。旅行商品の場合、そもそも「コト」と「サービス」に多く比重があります。では、旅行のプログラムの場合、ALVが高いとか、ALVが低いとか、具体的にどの部分の事を指すのでしょうか?

 

オーダーメードの高級旅行でも、高級ホテルに泊まるとか、高級リムジンで移動するなどといった、いわば「ハード」の部分でALVがとびぬけて高い数値を示していたとしても、それだけではあくまで「良質な旅」に過ぎません。深い感動をもたらす一生に一度の旅、という風にはならないでしょう。同様に、人的対応のいわば接遇、「ソフト」の部分でALVがとびぬけて高かったとしても、これでも「良質な旅」という水準を超える事は出来ません。旅を構成する要素、パーツのALVが高かくても、日本滞在という全体のALV値にインフレーションをもたらす訳ではありません。旅行業でのブランディングの難しさの理由の一つです。

 

5.「モノの価値」と「コトの価値」

 

ALVの話をするよりも前に、そもそも商品の価値についての厳密な議論が必要かもしれません。高級ホテルのスイートルームであれ、ケリーバッグであれ、誰か特定の個人の為に作られたものではありませんから、仮に大変に高額な嗜好品であったとしても、それらは「再生産可能な商品」、又は、「再提供可能なサービス」として成立していることを思い出してみましょう。この観点に立てば、Luxuryの究極の姿、モノの価値が最大限に高まるのは、オートクチュールの一点ものや、特別注文品・オーダーメード品が、モノの世界の頂点にたつ、という帰結に辿りつくでしょう。また、ハイジュエリーの場合ですと、有名なデザイナーが制作した一点もの、つまりプロダクトアウトの方式もありますし、顧客が特別品をメゾンに依頼するという方式も考えられます。他の分野では、例えば、世界的に有名な建築家に住宅設計を依頼する場合、イニシアティブを取るのが顧客の場合、あるいはクライアントの場合、両方考えられるでしょう。

 

コトの世界ではどうでしょうか。例えばクラシック音楽を考えてみましょう。バレンボイムやアルゲリッチなど世界的に有名なピアニストを招いて東京でコンサートが開催される、これは一般向けのものです。対して、ヨーロッパであれば、マナーハウスやお城といった特別な場所に音楽家を招いて、王宮の生活を感じさせるサロン文化さながらのプライベート演奏を依頼することが出来ます。世界の絶景スポットにミュージシャンを招いて観客は自分だけ、というサービスを提供しているLuxaviationのような会社もあります。自らが演奏好きであれば、世界的に有名なコンサートマスターに個人レッスンを依頼できる、そういった特殊なサービスを提供するエージェントも存在します。

 

こうしてみてみますと、モノの場合、コトの場合、いずれにも共通していえるのは、販売される数が少なるにつれ、そして、費やされる物質的・人的コストが上がるに比例して、物の価値、コトの価値、つまりプライスが上がっていくという現象です。大量生産・汎用品から嗜好品・希少品まで、階段状に綺麗なピラミッドを形成される、いわば、モノのカースト、あるいは、コトのカーストといったようなものが存在するということを念頭に、旅行業であったとしても、少量販売、限定販売、という部分に注意を払いブランディングに取り組んでいくべきでしょう。

 

6. 「商品」と「作品」

 

今、商品のヒエラルキー、カーストというような話に言及しました。その一番上に、ハイブランドが手掛ける一点ものが君臨する、というお話もしました。しかし、実はこのピラミッドの上にもう一つ別のステージが存在する事に、勘の良い方はすでに気づかれたかもしれません。それが「芸術作品」というカテゴリーです。旅行業における高付加価値のヒントになると思いますので、少し詳しく見てたいと思います。

 

興味深いのは、このステージにおいて、作品は「競売・オークション」という形で売買がされる点です。専門家・鑑定家があつまって値付けを行うわけですから、いわゆる定価というものが存在しない世界です。楽茶碗や超絶技巧など、日本の工芸品も同じだと思いますが、ルネ・ラリックの年代物のハイジュエリーの場合、特権階級の貴婦人のみが身につけられる非常に高価な宝飾品であるという要素だけでなく、美術品としての歴史的価値も含まれてきます。「商品」というよりも「作品」の色合いが強くなるケースです。

 

>ラリックのブティックに行き店員に説明してもらい値札が付いている一点ものを購入する場合。
>クリスティーズやサザビーズで歴史家や美術商と話をしながら年代物を競り落とす場合。

 

こうして二つを比較してみると、おなじラリックの一点ものであったとしても、商品を購入するのか、作品を購入するのか、実に鮮やかにそのプロセスの違いが浮き彫りになってきます。

 

日本人の皆さんにとってもう少し身近な例として、浮世絵を取り上げてみましょう。木版の北斎を購入する場合、肉筆の北斎を購入する場合、の比較です。前者は古本屋でも見つかりますから、店主と立ち話をしながら購入をすることになるでしょう。しかし、北斎の肉筆画となれば、普通の美術商では取り扱いが出来るところなどほとんど存在しません。仮に競売にかけられれば億単位の価格がつくことも想像に難しくありません。肉筆画であれば、購入後、好きなように自宅のリビングに飾っておくというわけにもいきません。むしろ作品が所有者を選ぶ、所有者の行動に制限をかかってくるという逆転現象、ノブレス・オブリージュ、リュックス・オブリージュの図式が生まれてくるでしょうし、このレベルになれば、誰が所有したのかが、作品の価値へ影響を及ぼすこともあります。

 

こういった美術の領域において、Added Luxury Valueという概念が取り上げられることはほとんどなかったように思いますが、理由は、才能があれば画家はキャンパスと絵具だけで勝負出来るからではないでしょうか。ブランド産業とは反対に、そもそもの「生産コスト」の部分がゼロに近い一方、芸術作品の価格は消費財の嗜好品とは比べられないほどの高値です。そこで、次の二つの定式を考えてみたいと思いました。

 

命題❶「作品」とはAdded Luxury Valueの部分が最大値、つまり無限 ∞ に振り切れている「モノ」のことを指すのではないか?

命題❷「商品」の価値を極限まで高めていく方法、究極の高付加価値の方法として、商品を「作品化」していくという試みも考えられるないだろうか?

命題❸ 「作品化」に成功した後、社会の上層部を占めるコミュニティ内で言説として広がりを見せた時に、ALVのハイパーインフレーションという現象が起きるのではないか?

 

事実大原宿では、この仮説のもと、過去10年以上に及び、旅行・エクスペリアンスという領域で応用実験を行ってきました。現在ではそのノウハウを実際に使って、海外の取引先企業やエンドユーザーに様々なサービスを提供し、一定水準の評価を得ていますが、その理論的なバックボーン、支柱となる概念を、二三紹介します。

 

(1) 元来、お金に還元されないもの、つまり「交換不可能なもの」が芸術作品な訳ですが、この「交換不可能なもの」に周囲が評価を下し、芸術家の名声や作品の価値づけが徐々に形成されていきます。いつしか、「交換不可能」であったものが、「美術品=モノ」として売買・流通し、歴史に名を遺す名画として、資産としての価値をもつキャピタルに変容していきます。この一連のプロセスについて、惜しまれつつ最近亡くなりましたが、精緻な分析を行ったのがフランスの地の巨人、ピエール・ブルデューです。著作「芸術の規則」の中で、ブルデューは芸術作品の価値を定める言説、職業、コミュニティーに関する洞察を行っています。芸術作品に限らず、商品の場合であったとしても、その市場価値は生産する側がコントロールできるものではなく、どの階層の社会装置により言説化されるか、どの階層のコミュニティの中で言説が流通するか、によって定まってくるはずだろうと予想できます。

 

(2)ブルデューには「ディスタンクシオン」という著作もあります。ここでは、経済資本、文化資本、社会関係資本、学歴資本、という概念が登場します。ディスタンクシオンとは差別化、という意味ですが、人間は「他人と同じものが欲しい」と願うと同時に「人とは違うものが欲しい」というジレンマ、矛盾を抱える存在であるという考え方です。高額商品・嗜好品を購入したいという人間心理の裏側を理解するのに、実に役立つ考え方です。


これらのブルデューの概念を頭の片隅におきながら、Added Luxury Value (ALV)にもう一度、話を戻してみましょう。

 

今日のお話しの冒頭で、高級ブランドの高付加価値戦略が、MATERIAL &CRAFTMANSHIP / STORY / LEGACY / BELONGINGという風に区切られていることに触れました。

 

では、本題である旅行業の分野において、価値を高めていく具体的な方法は何でしょうか。

 

富裕層向けのいわゆるシグネチャープログラムの場合は、その仕組みは複雑です。<モノ>・<コト>・<ヒト>・<バ>が組み合わせって一つのプログラム、構造物を形成しているからです。旅マエ、出発前の準備期間や、エージェントとの最初の交渉の期間も、クライアントにとっては旅の愉しみの重要な一部かもしれません。旅アト、つまり本国に戻って後、ストーリーが継続・展開されていくという、というカラクリを仕込むことも出来ます。

 

もっとも難解なのは、旅ナカの部分です。プログラムを構成している<モノ>・<コト>・<ヒト>・<バ>という四つの要素に、①商品としてピラミッドの最上位を目指す軸、それから、ピラミッドの天井部分である②作品化の軸を追求するという軸、二正面作戦になっているからです。

 

お気づきだと思いますが、本格的にトラベルデザインに取り組もうとすればするほどに、袋小路に迷い込んでしまいます。一つづつのパーツを選ぶ部分でも選択肢が沢山ある、かつ、それらのパーツの組み合わせ方も無数・無限にある、依頼主とは会ったこともないのでどういう人物であるか想像することも難しい、とにかく困難な状況の中で企画を請け負わなければならない。しかし、そんな超人的な仕事を出来る人はどこにいるのだろうか、パーツの組み合わせ方に何らかのロジック、方法論などあるのだろうか、皆さん気になるところだと思います。

 

7. 実践編「コトxモノ」の組み合わせと「作品化」による相乗効果

 

ここで、皆さんがトラベルデザイナーだという仮定で、練習問題を用意してみました。具体的に、①商品の軸で高付加価値を目指すパターンと、②作品の軸で最大値を目指すパターンとを比較してみましょう。

 

例えば、スイス人のアートコレクターが来日する、大変な美食家であるので、一席用意して欲しい、というリクエストが来たとします。どうしたら良いでしょうか?ぜひ考えて頂きたいと思いました。

 

思考実験ではありますが、テクニックとしては、「物事は分割して考える」、が基本です。

 

そこで<誰がwho>、<どこでwhere>、<何をwhat>、<どうやってhow>、というふうに区切って、私の方でも二パターンの答えを用意しておきました。


例えば、京都を案内してくれるナビゲーター役を務める人物が、

1.VIP客を専門とする通訳ガイドである場合

2.歴史や文化の専門家である著述家・思想家・芸術家である場合

 

食事を提供する場所が、

1.ミシュラン三ツ星のレストランのカウンターを貸切設定

2.アプローチとなる部分に川下りを組み込み、ここにアペリティフを用意。下船後、桜を見ながら徒歩で移動。文化財・国宝指定を受ける茶室、またはそれに近い建築物を借りる。現代風の茶会を催すという風な体裁をとる。当日客人たちは全員欠席、都合でこられない、というシナリオ。ジョン・ケージの4分33秒を想起。結果として、茶会にはならないが、茶の作法に通じた料理人と自分だけの一対一、という風で進行する。想像で客人たちのことを思い描いてみる。その客人たちは、すでにこの世を離れた人たちであっても良い。という設定。

 

提供する食事・献立が、

1.季節の最高級の食材と懐石料理の技法の組み合わせつつ、過去の最上位顧客 (王室、セレブリティなど)が好んだ料理をシリーズ化した献立

2.存在しない料理ジャンルを自分たちで考案(例えば和の薬膳など)、神饌のイメージで卓上の配置を工夫してみる、フランスの現代料理の思想を汲みつつポーションやドレサージュを調整、調理技法としては伝統的でありつつも最先端の懐石のテクニックを中心に据える。

 

もともとの課題は、「大事なクライアントなので、食事の席を用意して欲しい」というものでした。これは二週間の日本滞在というタイムスパンから考えたら、食事に要する時間はせいぜい2・3時間で、構成要素としては最も小さなユニットですが、意匠・キュレーションを施すことは可能だということが理解できたと思います。

 

小説・映画・演劇の場合、「シークエンス場面」という概念があると思いますが、短い時間であったとしても作品全体のハイライトになるかもしれませんし、あえて効果を押さえ、抑制のきいた場面展開にとどめる、ということも可能で、このあたりは戦略次第です。

 

パターンa.のように、ミシュラン星付きのレストランを予約しました、というどちらかといえば商業的なアプローチで高級路線を目指す作戦でいくのか。パターンb.のように、クリエイティビティに焦点をあて、意匠をほどこし拘りぬいて、に芸術的なアプローチから高付加価値の極限を目指していく、というのではアウトプットが180度変わります。

 

利益の面でいえば、前者はレストラン代行業に過ぎませんので、レストランにはお金はながれますが、コーディネーターには少額のフィーしか支払われません。後者は、インプットは「美食をしたい」でしたが、アウトプットは「桜を愛でる最高の京都」となっています。ひねりが利いて、きちんとエクスペリアンスデザインとして仕上がっており、セットアップは大変ではありますが顧客からはクリエイティブの仕事をしたと認知・評価され、相応の対価が支払われる結果となります。当然、本国に戻られてから、お客様が出入りをしておられるハイソサエティのコミュニティの中でちょっとした話題になる可能性もあります。

 

エクスペリアンスデザイナーとして、トラベルデザイナーとして、ここは腕の見せどころ、と判断して攻める作戦でいくのか?あえて黒子に徹し、ブルデューの「ディスタンクシオン」的な観点から、顧客の虚栄心を擽る作戦でいくのか?どちらが正しいかは、案件ごと、顧客プロファイルごとで、判断が変わってくるところでしょう。

 

もういくつか練習問題を取り上げてみたいと思います。

 

❷大原宿ではアート愛好家をお連れし、日本各地を回ることがしばしばあります。なかでも最近人気のある場所の一つに、江の浦測候所があります。ここの特徴はアーティストが自らの為に、私費を投じてミュージアムを作り上げたという点にあります。ミュージアム自体が作品です。美術館としてもかなり特徴はありますので、見学そのものも面白いですが、しかし、アクティビティ・エクスペリアンスとしてどのように仕立て上げれば超富裕層をサプライズすることが出来るでしょうか。模範解答を一つあげてみます。この小田原の施設の見学を終えて東京に戻ってから夜、同じアーティストが設計・意匠を手掛けた都内のレストランで会食の場を設定、スペシャルゲストを招く、つまりキャスティングの仕事を加える、さらに、鼎談の内容も事前に練っておく、キューレーションの仕事も加える、という仕立て方は面白いのではないでしょうか。

 

コトの高付加価値、という課題において「作品化」の方向軸が効果的である、という仮説を先に述べましたが、これは具体的にいえば、芸術の技法、例えば映画、演劇、文学の手法を旅やエクスペリアンスデザインに流用できるという事を意味します。こうして、もともとは切り離されている、江之浦という一つのシークエンスと、東京の夜景というシークエンス、つまりまったく異なるはずの二地点、二つの時間をつなぐことが出来て、旅という物語の体系化、旅のプログラム全体の作品化、という流れが生まれてきます。

 

❸他に、方法論のヒントとして作曲家と演奏家の関係から着想を得る事も出来ると思いました。クラシック音楽の世界では、「演奏」のことを示すのに、英語・フランス語ではinterprétationという表現を使います。バッハ、ベートーヴェン、ショパンといった作曲家の作品、楽曲があり、それを解釈しているのが演奏家であるという関係性です。

 

永遠不変の価値、記念碑的な巨匠の作品、という話でいいますと、観光業の分野では、竜安寺、金閣寺などはバッハ、ベートーヴェン的な存在に該当するでしょう。竜安寺や金閣寺のの価値を否定する人はいません。誰もが「訪れなければならない」とされる場所であり【世界遺産】にもなっていますが、ここに自由な解釈の余地、エクスペリアンスとしての表現の余地はあるでしょうか。永遠不変の価値という事でいえば、もう一つ典型的なコンテンツがあります。それが、京都で外国人が必ず訪れる、祇園町です。花街での遊び方も随分と形骸化しているとはいえ、こに新しい風を吹き込む、現代のジレッタント達を満足させるような遊び、花街の新しいアプローチを考案できるでしょうか。

 

金閣寺と祇園、いずれも観光地としては重要ですが、そのままでは、相いれない、二つのテーマ、二つの場所、二つの時間です。この二つを並べただけでは何の脈絡もない、つまりステレオタイプを安売りするだけのマスツーリズムと、なんら違いはありません。そこでどうするか。「媒介」として、つまり金閣寺と祇園をつなぐものとして、「美」の定義という第三項を想定してみてはどうでしょうか。すぐに、三島由紀夫のことを思い出すでしょう。つまり小説の「金閣寺」です。

 

アウトラインは次のようになります。

・京都で最高とされる格式のお茶屋で、文学サロン的な時間を過ごしてもらう。

・祇園一美しいとされる芸舞妓を呼び、美の定義、そして女性性について語る。

・朗読の部分を芸舞妓に頼み、少し演技をつけてもらう。あるいは、現代詩人を招き朗読してもらう、という選択肢もある。また、日本画家を呼んで、その場で美人画のデッサンを書いてもらうというのも洒落ている。

 

こういった具合で役者が揃い、シグネチャープログラムのベースの出来あがります。ここで時間の進み具合が一気に早くなります。

・場面は変わり、多島美で知られる瀬戸内の船旅。そして、産業遺構・三菱マテリアルという廃墟を舞台に、三島由紀夫との再会するというクライマックス。ついには水平線に消えていく太陽の姿が、ロマン主義的な旅情を与えるというフィナーレです。

映画の脚本と同じように、旅のプログラムに物語構造にシンメトリーの美を与え、さらに、風景の美しさが際立つ場所に人物と出来事を配置していくことで、旅人の頭や心の中で一種の科学反応がおきます。意味や記憶にビジュアルが重なって、リアルとフィクションの境界が崩れていくからです。名作映画を観た時の衝撃以上に、旅でしか味わうことの出来ない深い感動の境地への導きとなります。物語構造に認められるシンメトリーの美と言いましたが、つまり、能楽でいう序破急のプロット・章立てと同じです。我々日本人の感覚として、実に洒落ていると思います。

 

練習問題の❸番は、出発点は金閣寺の見学一時間、というタイムスパンでした。しかし、最終的に出来上がったのは京都~瀬戸内をつなぐ3日~4日のプログラムです。クライアントのリクエストは「京都で禅寺を見られれば」というものでした。そのインプットに対して、「キュレーションを組み込んだシグネチャープログラム」というアウトプットで応じています。一いわれたら、三から四答える、これが一流のサービスではないでしょうか。

 

❹別の練習問題として、建築というテーマも取り上げてみましょう。竜安寺の庭について考えてみましょう。専門家の間でも諸説あり、200ほどもあるとも言われていますが、ここにも斬新で独創的な見学方法、楽しみ方を提案することが出来ます。イコノグラフィーとかイコノロジーという研究がありますが、竜安寺の全体を一つのタブローとみて、ディテール、多くの人が見過ごしてしまう細部一つづつにも、きちんと意味を捉えていこうという考え方。石庭だけに照準をあてるのではなく、竜安寺全体を一つの物語として解釈すると、近現代フランス文学の最高傑作とされるプルーストの円環構造との相同性が見えてきます。ランドスケープアーティストとしてクリエイティブ分野でのセンスが光る庭師を見つけ出し、こうやって一緒に竜安寺を訪れることで、ブルデューのいう「文化資本」をふんだんに組み込んだ、レバレッジの利いた高付加価値のプログラムが出来あがります。

 

❹数年前、ソフィア・コッポラのLost in Translationという映画が随分と話題になりました。日本の現代文化、ライフスタイルの発信という意味では、欧米の超富裕層に与えた影響は計り知れないと思います。映画の話となれば、世界の巨匠として知られるクロサワアキラを無視することは出来ません。そこで練習問題を一つ、仮に、ハリウッド関係者が来日するとなったとして、どのようなプログラムを提案してみたら海外のエージェントを説得できるでしょうか。

 

私が注目したのが「夢」という作品です。制作に協力した人物をあげてみると、スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラといった世界の巨匠の名前が連なりますが、日本では全く評価されませんでした。この映画作品を一つの軸として、一週間のプランが作れるのではないかと思いました。東京の「神田の家」で、漱石「夢十夜」を読む (クライアントの言語で翻訳を用意) 京都ではクロサワ映画「夢」を森の中、あるいは神聖な場所で鑑賞 ~ 最終目標地点としては聖地に滞在、宿坊・アートホテルなど、静謐な空間で過ごす夜。そして夢を見る。暦上の新年、つまりお正月と「初夢」という設定。又は、クライアントの誕生日、歳を一つ重ねるという意味での「初夢」という設定。ネイティブアメリカン、古代ギリシャ、日本神話など、神託としての夢に言及、そして現代人にとっての夢、という土産を本国に持ち帰ってもらう。このような構想をもとに、旅を実際に組み立てる部分で、世界的に有名な日本人監督をアサインする、という提案をクライアント側に提出。

 

ようは、この企画が採択されるか、見積もりをどうやって出せるのだろうか、とか色々疑問を皆さんお感じかもしれませんが、実は、こういった「旅行会社の悩み」的な側面にクライアントは全く興味はありません。むしろ、日本側の発想力であるとかクリエイティビティがどの程度の水準であるか、ここを見てきます。ですから、<問合せ~相談~提案>、という一連の顧客とのやり取りを、トラベルデザイナーや駅スぺリアンスデザイナーの構想発表の場、にしてしまう事の方がよほど重要です。

 

スティーブ・ジョブズの新作発表とか、パリコレの新作発表といった具合に、我々旅行産業もコレクション発表やアピールの場が欲しい。そこで、「問合せ」という顧客とのコミュニケーションを我々にとってのパフォーマンスを場として捉え、旅の計画を練る「ELABORATION」の段階に顧客を巻き込んでいく。インタラクティブな<旅マエ>のシグネチャー体験、という風にまで昇華させていけば、お客様のハートをつかむことはそれほどに難しくはないでしょう。

 

8.サービス業における高付加価値、 「交換」から「贈与」へ

 

以上、モノ、コト、という両側から、旅行の高付加価値という点を検証してきました。最後に、「ヒト」という角度から、高付加価値について考えてみたいと思います。旅行の質、顧客満足度に直接影響を与えるのが接遇です。顧客に人的サービスを提供する際に、どのような条件下を想定すれば、顧客満足度の針が最大に振りきれるか、これは我々事業者にとっては大変に興味深い問題です。

 

そもそも、オートクチュール的な唯一無二のサービスというものは存在するのでしょうか?それとも、顧客を感動させる力を持っているのは、完璧な外国語をしゃべるバイリンガルの通訳やホテル・コンシェルジュなのでしょうか? 百貨店の外商であるとか、ルイ・ヴィトンのブティックの定員のような接客方法がお手本となるのでしょうか?

 

観光プロモーションやホテル業界では「おもてなし」とか、「ホスピタリティ」という単語が溢れています。しかし、よく考えてみますと、接客サービスも、お金を払ってその対価として顧客が受け取るものに過ぎません。所詮、大量生産品です。人的サービスの高付加価値化の答えは、どこを探しても見つかりません。

 

先ほど、富裕層・超富裕層向けに旅行プランやエクスペリアンスを造成する際、作品化を目指すことが高付加価値に繋がる、値札の存在しない世界に向かうことが重要である、と述べました。マルセル・モースや、マリノフスキーといった、文化人類学者が取り上げた「交換」と「贈与」という概念をヒントにすると、シグネチャープログラムにこそふさわしいVIP顧客の接遇方法をうまく定義づけ出来そうです。

 

具体的には、非交換型・贈与型のコミュニケーションをクライアントとの関係に組み込んでいく、という方法です。お金をいくら積んだとしても必ずしも手に入らないものとして、例えば、創造性、好奇心、尊敬・尊厳、運命、愛情、寛容、などがあげられます。これらは旅行業で取り扱われる商品・サービスとは明らかに性質の異なるものばかりです。旅行の見積や請求書の項目として書き加えることは出来ません。

 

サービス業とは、お金を介在させた人と人の関係の一つの形態です。そして、お金が関与している限りにおいて、提供されるサービスは交換可能な価値の域にとどまったままです。他方、母親と赤ちゃんの関係のように、経済的・社会的利害を排した人と人の繋がりも私たちの社会の根幹をなす重要な一部です。母親が赤ちゃんに与えるのは無償の愛で、何か見返りを求めるものではありません。偉大な宗教者や万人の幸福を願い祈りをささげる時、政治的リーダーが母国を救うために自らを犠牲にする場合、これも又、何らかの見返りを求める行為、利害によって動機づけられた行為とは明らかに異質のものです。

 

今日は時間がもうありませんので詳しく紹介できませんが、贈与をモデルとして大原宿で考案した手法がいくつかあります。その一つを例に挙げますと、「木を植える」いわゆる植林があります。どこで、何を、どのような目的で植えるのか、クライアントと誰がコミュニケーションをするのか。誰から誰へのギフト・贈与なのか?この辺りは皆さんの想像にお任せしたいと思います。

 

余談ながら、モノのヒエラルキー・ピラミッドの話で、「商品」より上に「作品」がある、と述べましたが、実はさらに変化球があります。日本の場合、実は「作品」より上に、もう一つ上のステージとして、「お供え」とか、「献上品」という世界が広がっています。神社とかお寺とか皇室をイメージして頂ければと思います。そこでどのようなコミュニケーションが成り立っているのか、モノを用意する上で、どのような心掛けがあったのか。日本が世界に誇れるラグジュアリーの究極形である「献上品」と「作品化された旅」というエピソードについては、別の機会にまた皆様にお話出来ればと思います。