ウェビナー
第5回富裕層観光戦略ウェビナー
開催日 | 2022年3月24日(木) こちらのイベントは終了しました |
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開催時刻 | 14:00〜15:00 |
定員 | 500名 |
参加条件 | 無料・事前申込制 |
主催 | 一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構 |
後援 | 日本政府観光局(JNTO) 一般社団法人 東京ニュービジネス協議会 |
協賛 | 株式会社クレディセゾン |
【本ウェビナーの申込は終了いたしました】
コロナ後を見据えた観光戦略において、スモールラグジュアリーホテル・旅館に大きな期待が寄せられています。
そこで、連続企画として、全国の素晴らしいスモールラグジュアリーホテル・旅館の誕生秘話やさまざまな取り組みをオーナーにお話いただくウェビナーを開催いたします。
連続企画第二弾のゲストは、由布院 亀の井別荘 代表取締役社長(四代目主人)中谷 太郎 さんです。
別府観光の奇人・油屋熊八翁と初代主人 中谷巳次郎が、犬養毅、北原白秋、与謝野鉄幹・晶子、藤田嗣治といった客人をもてなすために築いた別荘から始まった亀の井別荘。約1万坪の敷地の中に、14の離れと6つの洋室があり、すべての客室で源泉掛け流しの温泉を愉しむことができる由布院を代表する宿のひとつです。
今でこそ全国屈指の温泉地として有名な由布院ですが、歓楽街や名所旧跡はなく、山に囲まれた普通の田舎だった由布院をトップ・ブランドに育て上げた立役者の一人である先代の健太郎さんから経営を引き継ぎ、四代目主人に就任した太郎さん。コロナ禍においても、保養滞在型の宿として、次々と新しい取り組みをなされています。
今回は太郎さんに、亀の井別荘と由布院の歴史、別荘としてのこだわり、そして、「理想の宿づくり、まちづくり」についてお話しいただきます。どうぞご期待ください。
プログラム
特別対談 「理想の宿づくり、まちづくり」
中谷 太郎 氏
株式会社亀の井別荘 代表取締役社長(四代目主人)
宮山 直之 氏
一般社団法人ラグジュアリージャパン推進機構 代表理事
質疑応答
対象の方
- 観光戦略を担う自治体・DMO関係者の皆さま
- 「高付加価値」な観光サービスの提供事業者さま
- 富裕層の観光需要を獲得したいとお考えの事業者さま、自治体関係者さま
- そのほか、ご関心のある方
(意欲のある学生の方の参加も歓迎します)
登壇者プロフィール
中谷 太郎 氏
株式会社亀の井別荘 代表取締役社長(四代目主人)
複数の都内飲食店勤務を経て、1995年株式会社亀の井別荘に入社。2013年に代表取締役社長(四代目主人)就任。
宮山 直之 氏
一般社団法人ラグジュアリージャパン推進機構 代表理事
1980年西日本新聞社入社、87年西日本新聞社東京支社勤務を経て、95年ニューズライン・ネットワーク株式会社IT企業設立。2003年日本の知的富裕層向け会員制サービス、クラブ・コンシェルジュ株式会社設立、代表取締役社長就任。2005年訪日外国人富裕層向サービス、株式会社ラグジュアリージャパン設立、代表取締役社長就任。18年に亘り富裕層ビジネスに従事している。2016年4月スイスヴォー州ワイン協会より世界で二人目のコマンドール勲章受章。
亀の井別荘について
名 称 | 亀の井別荘 |
所 在 地 | 大分県由布市湯布院町川上2633-1 |
公式サイト | https://www.kamenoi-bessou.jp/ |
一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構について
一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構は、ラグジュアリーツーリズムの振興を目的とした団体です。
国内・海外のバイヤー、セラー、自治体、DMOを対象とした、富裕層マーケット専門のプラットフォーム「Luxury Japan Virtual Travel Market(略称:LJTM)」を主催しています。
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一般社団法人ラグジュアリージャパン観光推進機構は、3月24日(木)、株式会社亀の井別荘 代表取締役社長・ 中谷太郎氏をゲストに迎え、5回目となる「富裕層観光戦略ウェビナー」を開催しました。
全国の素晴らしいスモールラグジュアリーホテル・旅館の誕生秘話やさまざまな取り組みをオーナーに話していただき、事例を共有する連続企画の第2弾となる今回のウェビナー。
今回登壇された中谷太郎氏は、由布院にある「亀の井別荘」の四代目主人。今でこそ全国屈指の温泉地として有名な由布院ですが、その昔は歓楽街や名所旧跡などもなく、山に囲まれた普通の田舎だったといいます。
そんな由布院をトップ・ブランドに育て上げた立役者のひとりが先代の中谷健太郎氏。そして、健太郎氏から経営を引き継がれた太郎氏は、老舗の名宿という肩書きに甘んじることなく、コロナ禍においても保養滞在型の宿として次々と新しい取り組みを行い、常に進化し続けることで、亀の井別荘に新たな魅力を生み出しています。
本ウェビナーでは、ラグジュアリージャパン観光推進機構 宮山直之代表理事を聞き手に、中谷太郎氏が「理想の宿づくり、まちづくり」について語りました。
コンセプトは「滞在型の保養温泉」
東の軽井沢、西の由布院と言われるほどの人気リゾート地として名を馳せ、今では年間約400万人が訪れるという由布院。そんな由布院の印象を、福岡出身の宮山理事は「由布院は憧れの地。とにかくセンスがいい。地域が一丸となって街づくりに取り組んでいるところも印象的」と評します。
多くの温泉旅館があるなか、“由布院御三家”とも呼ばれる屈指の名旅館のひとつが「亀の井別荘」です。
その初代主人・中谷巳次郎について、「石川県の加賀の出身で、実家は庄屋を営んでいました。その後金沢に居を移して飲食店を始めますが、書画道楽に通じていたこともあり店はたいへん繁盛したものの、道楽が過ぎて店を潰してしまい、新天地を求めて別府に南下しました」と話す中谷氏。
そこで巳次郎が出会ったのが、“別府観光の父”と呼ばれる油屋熊八です。日本の旅館型に西洋の形式を組み入れた都市型の亀の井旅館(現在の「別府亀の井ホテル」)を開き、別府の観光開発に尽力した油屋熊八が、巳次郎とともに客人をもてなすための田舎型・滞在保養型の別荘を由布院温泉に開き、巳次郎がその管理にあたったことが今日の亀の井別荘の始まりだといいます。
大正10年に創業した亀の井別荘は、当初は完全な別荘として与謝野鉄幹や与謝野晶子、九州の鉱山王など名だたる人々が連日のように滞在していたそうですが、徐々に半分別荘、半分旅館といった形態で経営するようになったといい、「先代の頃にようやく旅館として認められたような感じです。商売としてはまるで成り立っておらず、父も家を継ぐ気はなかったそうです」と話す中谷氏。
先代の健太郎氏は映画監督を夢見て東京に出奔し、東宝で助監督として働いていたそうですが、最終的には後を継ぐことを決心したといいます。
当時、「何かやらないと」と思った健太郎氏は「湯の岳ガーデン(現在の湯の岳庵)」という食事処も作りますが、当初はまったく流行らなかったそう。危機感を覚えた健太郎氏は、ドイツのバーデンヴァイラーに研修旅行に行き、今後の湯布院のあり方や方向性について学ぶうち、“滞在型の保養温泉”というコンセプトと出会ったんだとか。
「もともと、中谷巳次郎の頃にもそのキーワードは出ていまして、明治神宮を設計した本多静六博士が町に立ち寄った際、『由布院の行く末は滞在型の保養温泉地を目指すのがよかろう』という言葉を残してくださった記録があります。父はそこに目をつけて、『それはいったいどのようなものなのだろうか』と現地に確認に行ったわけです」と話す中谷氏。
その後、昭和50年に大分中部地震という大きな地震に見舞われた由布院。「湯布院、壊滅か!?」という情報が全国的に流れてしまいますが、湯布院健在をアピールするために観光辻馬車を走らせたり、シンポジウム(「この街に子どもは残るか」)を打ったり、「湯布院音楽祭」や「湯布院映画祭」、「牛喰い絶叫大会」などのイベントを立ち上げたといいます。
「なにくそ根性でいろんなイベントを開催して町づくりに拍車がかかったのは、地震がきっかけになったと言っても過言ではないと思います。由布院には音楽ホールもなければ映画館もないのですが、父はよく『音楽ホールがなければ音楽が聴けないのか、映画館がなければ映画が観られないのか』と口にしておりました」と、先代の反骨精神で立ち上げられた数々のイベントを振り返る中谷氏でした。
「飽きない、居心地がいい」が原点
現在、旅館型の離れが14室、ホテル式の洋室が6室、合わせて20室あるという亀の井別荘。四代目主人となった中谷氏は、勉強のためにあちこちを泊まり歩きしたといいます。そこで感じたのが「1泊2食付きのシステムは滞在には不向きだな」ということ。「旅館はたいてい1泊2食付きがワンパッケージとなっているんですが、ひとつの旅館に長く逗留すればするほど、提供される食事が体の負担になってきたんです」と話す中谷氏。
さらに、当時多くの一般的な旅館は、滞在するのがおもに部屋に限られる時代だったといい、「お部屋にずっといると閉じ込められたような気分になってきた」とも言います。「ですので、お部屋以外にどれだけ楽しみがあるかということが大事かと思います」と、部屋以外の施設やアクティビティを充実させることの重要性を感じたことを明かします。
そこで中谷氏は、宿泊者でなくても利用できる喫茶店「茶房 天井桟敷」をフル活用させます。「旅館の宿泊施設から歩いて1〜2分の距離に設置することで、半分プライベート、半分パブリックといった位置関係となり、お出かけ気分も手伝っていいかなと思っております」とニッコリ。
また、「お買い物の楽しみもあっていいのではと思い、店内の工房で作っている亀の井別荘家傳の食品や調味料のほか、竹細工、器、木工品など、大分・九州の名産品を揃えている売店『鍵屋』も滞在の思い出作りに一役買ってくれています」といいます。
庭内にある食事処の「湯の岳庵」は「旅館の食事に飽きたり、『同じ部屋で料理を食べるのに飽きたから気分を変えたい』というお客さまのためにも活躍しております」と話す中谷氏は、「旅館では山海の幸、湯の岳庵ではダイナミックな山の幸を召し上がっていただけるよう、趣向を変えております。」と、お客さまが飽きないための工夫についても明かします。
滞在するお客さまにとって、「飽きない、居心地がいい」を原点にしたいと話す中谷氏。「別荘にこだわっているというよりは、滞在保養型にこだわった結果、脱旅館と言いますか、旅館の機能を残しながらより選択肢を増やす形で別荘のイメージを定着させたい、というのが正しいかもしれません」と、自身の理想の宿について思いを馳せていました。
庭も含めた「居心地を生み出す空間」を
さらに、田舎に非常にクオリティの高い専門店がほとんどないことにも気がついたという中谷氏は、「田舎でそれが成り立つのか成り立たないのかの実験も含めまして、まずひとつ客室を改造して、お鮨屋さんを設えてみました」と言います。
今はコロナの影響もあり、営業はしていないそうですが、旅館(での食事)、湯の岳庵に加え、「今日は軽くお鮨でもつまんでからバーにでも行くか」という選択肢も加えたいと思った中谷氏は、「お鮨屋はお泊りの方専用なのでプライバシーも守れるし、部屋から出て数歩のところに専門店があるというのは『ちょっといいな』と思っていただけるのではないか」と思ったそう。
今後は「あと4部屋ほど減らして、庭も含めた空間を“居心地を生み出す空間”として、お客さまにもっとゆったりのんびりしていただきたい」と話す中谷氏。宮山理事が畳に床暖房が入っていることに言及すると、「由布院は標高が高いので冬はとても寒いんですけど、私は足元が温かいことが贅沢だと思ってるんです。ですので、設計家の方に苦労していただいてなんとか実現させていただきました」と、快適さを求める中谷氏らしい言葉が返ってきます。
また、近年大浴場の利用率が低くなってきていることにも注目しているという中谷氏は、「これは今、旅館を経営なさっておられる方々は同じかと思いますが、お客さまから『お部屋に露天風呂はあるのでしょうか?』というお問い合わせをよくいただくようになった」と言い、今後はできる限りの部屋に露天風呂を設置していくつもりだと話します。さらに、滞在中、大きな荷物が目に入らないようにとの思いから設置を始めたウォークインクローゼットも、今後は各部屋に設置する予定なんだとか。
これらの展望を聞いて、「素晴らしい。今求められていることを実現していて、まさに別荘ですね」と絶賛する宮山理事。
また、これからは「食事の後の“夜の過ごし方のご提案”が大事ではないか」と思ったという中谷氏は、BAR「山猫」の営業や、談話室で夜に開催するレコード(やSPレコード)鑑賞会なども行っていると話します。さらに夜の金鱗湖散策や、音楽を聴きながら星空を見るアクティビティを企画するなど、夜の時間や居場所の拡大に力を注ぎたいんだそう。
すると宮山理事も「湯布院の蛍が大好きで、よく見に行っていたので、また蛍大会なんかもやっていただくと嬉しいです」とニッコリ。これには中谷氏も「いや本当、ヒントをいただきました。いいお知恵をいただきましてありがとうございます」と笑顔で応えていました。
最後に、「わたくしが今まで申し上げてまいりましたことは、あくまで世の中が平和であるということが前提でございます」と話し、現在のロシアとウクライナの問題について、決して他人事とは捉えていないと話す中谷氏。
「私はこの穏やかで思いやりのある日本の文化が大好きでございます。私ども旅館業が世界平和の貢献に何か役に立てるかというと、毛ほどの力もないかもしれません。しかし、傷ついて疲れ果てた方々を癒す力だけは持っていると信じております。癒しと安らぎを模索し続けております私どもですが、このことが荒ぶる世界の方々の魂を沈めて、やがては平和な世の中の訪れますことを心から願うばかりでございます」というメッセージを視聴者に伝え、ウェビナーを締めくくる中谷氏でした。
宮山理事が「本当に細部にわたって素晴らしい別荘をお造りになっていると感じました。これは日本のその他の旅館や地域の観光協会にとっても参考になることが多くあったと思いますし、日本のラグジュアリーツーリズムのお手本だと思っています」と話し、ウェビナーは終了。
老舗の名旅館でありながら、常に癒しや安らぎを模索し、進化を続ける「亀の井別荘」の姿からさまざまな学びが見てとれる、素晴らしいウェビナーとなりました。